HOME > 金沢城-幕藩体制を象徴した堅城

江戸時代への回帰


 幕末動乱の時代を迎えても、金沢藩は大勢に順応し、変革に積極的に関与することなく、明沿維新を迎えた。いわば、現状維持に手一杯となり、そして巨大化した組織が経年劣化し、身動きが取れないまま時代の流れから取り残されたともいえよう。
 明治八年(一八七五)には、金沢城内には歩兵第七連隊が配置され、明治三十一年には第九師の司令部が置かれた。以後、金沢の城下町は軍都として再生されることになる。
 戦後、金沢城は連合軍に接収された後、昭和24年には城内に国立金沢大学が新設された。軍隊の駐屯地よりも学校や役所に利用されると、城が平坦化されることが多く、金沢城でもその傾向は否めない。



 平成八年(一九九六)、大学が郊外へ移転してからは、金沢城公園として江戸時代の姿への回帰がはかられている。
 城内では、平成二十三年秋現在、玉泉院丸で発掘調査が進行している。
 発掘調査というと、内部の立入は説明会開催時以外には制限されるのだが、玉泉院には見学コースが設定され、作業の進行状態をのぞき見することができる。城内には案内板がこまめに設置されていることに加え、発掘調査の様子が見学できることは、城通には好感が持てる史跡整備の方法である。